日本式のオフィスって全然集中できなくないか?

島になった机、パーティションもなく丸見え、丸聞こえのオフィス

会社入るまでドラマで見るようなそんなオフィスなんて今どき少ないだろう、ただの”会社”というものをわかりやすく演出するためのステレオタイプだろうと思ってた。だから就職活動で色んな会社にいってびっくりしたね。どこもドラマに出てた例の形式のオフィスばっかじゃないかと。で就職して実際にそこで働いてみてさらにびっくり、全然集中できん。しょっちゅうどこかで鳴ってる電話の音だけでも辛いのに、近くを誰が通ってるか気になってしょうがない。マネージャーが部長が近くを通ると嫌でも神経を使う。入ってすぐはまあしばらくすれば慣れるかと思ったが2年経ったが全然なれない。気が散ってる状態が通常状態になって”集中できてない”状態を意識しなくはなかったが、決して集中できてるわけではない。まじでこんな環境で知的労働なんて無理だろ。知的創造物を生み出すのが仕事の技術職にとって集中より大切なものなんてあるか?日本企業が研究開発力で遅れをとってしまっているのってこれが真因なんじゃないの?とまで思う。生産性もそうだが対面の人の顔が嫌でも目に入るので視線に気を使う。職場にいると自分の場合作業自体の疲れよりパーティションがないことによる神経疲れのほうがでかい。こんなぐだぐだいっても改善なんてされないし自分の方を仕切りなしの職場でも平気な無神経人間に改造するかないのか??

休みになると何もしなくなる

休みの日になるとどこか行こうとは思うんだけどつい夜ふかししちゃって結局今でかけてもすぐ日が暮れるなって時間になっちゃって行けずじまいになっちゃってる。今日は俺にしては早めに起きた、8時に起きたんだけどそれでもこうやってぐだぐだしちゃってるしね結局ね。でもやっぱさ俺にとってはこうやって無駄に過ごす時間が必要なんだって。平日は仕事でずっと何かしなくちゃって自分を追い詰めて過ごして休日までなにかしないと思考でいるのって精神的に無理なんですよね自分にとっては。

でもね、何もしてない=人生の無駄っていう考え方って一概に当てはまらないと思うんですよね。自分が何のために働いてるかっていうと幸せになるためなんですよね。自分にとっては幸せの定義はなにか活動をして称賛を得るとか利益を得るっていうことと同等かそれ以上に今現状苦痛がないことでもあるんですよね。何もしてない時間はたしかに前者の幸せは生まれないですが後者は確実に享受することができるので。。消極的ではあるんですが自分の中では理にかなってるんですよね。

ただ、最近は消極的な幸せの享受を重視しすぎてきたかなと、流石に焦りが出てきて、結局なにも積み上がらないんですよねこれって。要は何もしてないわけですから。多少精神的なコストを払ってでも活動しようとしたほうがいいかもしれないですね。

俺たちは興奮することが正義の時代に生きている

 

現代社会、テレビはひっきりなしに衝撃のラスト!とか大興奮の2時間スペシャル!といった謳い文句で番組の宣伝をするし、ゲームは今どきは全部3Dは当たり前。ひっきりなしに敵が出てきて狂ったようにマウス動かしまくってぶっ続けで戦い続ける。仕事ではIT化で高度で密度が高くなった業務に毎日切羽詰まったような気持ちでPCと格闘する。

そんな興奮が正義の時代に27年生きてきてふと、そんなに興奮することって良いことばかりかなと思い始めた。

だいいち、興奮しぱなっしというのは疲れる。最近の脳科学的にはマインドフルネスといって雑念を取り払った状態でいることがうつ病や倦怠感の改善に効果があることが証明されてるらしい。そりゃそうだ。そもそも人間がこんなに頭脳を酷使するようになったのは最近のことだ。江戸時代の人が1年で触れる情報量は現代人の1日分らしい。体も動かさず脳に対してだけ、365倍刺激を得てるってことだ。そりゃ、疲れるわ。誰しも決まったように癒やし癒やし言うわけだ。生物的に許容できない。

なんだか現代人が不幸だ不幸だと言ってる根源原因の1つが過剰興奮なんじゃないかと。許容量以上の興奮を受けて疲れて抑うつ状態になり不幸になってるのに、自分が不幸なのは楽しいこと(=刺激的なこととインプットされてる)がたりないからだ!とさらに刺激を取り込もうと必死になって更に疲弊する。こんなループが。

 

初めて東京に行った思い出

大学院受験のとき人生で初めて東京に行った。

飛行機で行かざるを得ない距離だったのでLCCで成田まで。

まず成田空港から東京駅に向かうため地下鉄に乗った。そこで初めて1つの駅の中で2つ路線が走ってるホームに出会い、乗り換えの方法がわからず10分ほど立ち往生して駅員に乗り換える方法を聞いてなんとか東京駅まで行くことができた。

東京駅に着いたときの記憶はあんまりない。日本の中心といって過言じゃない場所なんだから何かしらの感慨はあったと思うのだけど。。乗り換えで渋谷駅にいったときのことは覚えてる。やっぱね人の多さにはびっくりしたね。あとTVでしか見たことがない場所に自分がいるという感動。ここがあの渋谷か!といかにもお上りさん的格好でキョロキョロする男がそこにはいた。

受験自体は教授がいかつい見た目だったのでビビってあんまりうまくいかなかった。なんか教授室の中にロードバイクが置いてあったし。。

帰りは夕方に東京駅について朝6時発の成田発をとってあったので観光でもして時間を潰そうと考えていた。。が、いざ東京にいってみて自分の格好がいかにもなど田舎民で浮いてることに道中気づき、とても街歩きするような気分でなくなってた。駅で時間を潰そうと決意。でもノートPCの充電も切れ、そのときはスマホなんてハイカラなもんは持ってなかったのでひたすらウロウロ。。時間がすぎるのがめっちゃ遅かったがなんとか夜に。野宿できる場所を探したがホームレス対策でどこも横になれる場所がない。なんと朝まで東京駅前の縁石に腰掛けて過ごしたのである。。風呂にずっと入ってない、かつ夏だったので風体はまさにホームレス。人生の中でもしかしたら一番長いと感じた夜だったかもしれない。

てな感じだったので家に帰ったときは本当に安堵した。地下鉄から出てボロボロ+無精髭な姿を知り合いに見られたくなくそそくさと帰宅した。

締め付けがきつい世の中になってきたな。。

「母親やめたくなる人も増えちゃうかも」…厚労省が示した体罰の指針案に親たちは「線引き難しい」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191206-00010000-fnnprimev-soci

 

うちは親のしつけは結構厳しい方だった。今考えるとあれ虐待だったなって思うのも。例えば俺の父親は俺が悪いことをするとベルトを鞭みたいにして振りかぶったり叩く素振りをして脅すことでしつけしてたが、今思い出せばあれは虐待と言っていい。暴力が振るわれて無くてもそれはね。

 

ただ、なんだろう。こういうポリティカル・コレクトネスに引っかかるようなことってどんどん厳しくなってますよね近年。このケースだと児童虐待問題とも関係があるのかな?

でもわかりやすい被害者を保護することを考えるあまり他のネガティブ要素には目が行ってないというかさ。。確かにその被害者本人は相当苦しんでるだろうけど(この場合厳しすぎるしつけで虐待みたいになってる家庭の子供)それを救おうとするあまり規制強化とかローカルルールの作成みたいなことを公的機関がやっちゃうと別な話になってくる。

電車のマナーとかやけに厳しくなってません?今はもうリュック背負うのもマナー違反らしいですね。神経質すぎてうざくない?あれってJRが張り紙でリュックはマナー違反ですよって認めちゃった時点からいっきに目の敵にされるようになったんですよね。権力を持ってるところ、元締めは、簡単にお墨付き与えちゃいけない。そう俺は思う。

意外なところで実力発揮

仕事の話

最近何をやってもあんまりうまく行ってなかったが、プログラミング能力を買われてそっち系の仕事を頼まれるようになってきた

要はうちの部署は機械系出身者ばかりなのでプログラミングにうとく、ある自動化の問題で困っていたところに俺のPythonコードで解決したところ、少し評判になって頼まれるようになったというわけだ。

その自動化というのはレーザー加工のパスをCADで一本一本書いていたのだが、それをコードで設計値を入れれば自動生成されるようにしたというもので、最初1ヶ月で、といわれたのを2日で書いてしまった。

ミスを連発し同僚にもさげずまれていた中、にわかに有能扱いをうけ、かつての学生時代のペーパーテストで良い点とってれば褒めてもらえたころの感覚を思い出す。

褒めてもらうってこんな気持ちよかったっけ。。久々の充実感を感じ嬉しくなって今ブログに書いている。

 

機械設計がしたいという入社当初の路線からは外れていってますがね。。

 

結婚するデメリットが多すぎる

結婚するデメリットって多すぎない?

配偶者と子供の分の養育費払わないといけない。家はできれば一軒家最低でも3DK以上のマンション 金がかかりすぎる

子供がかわいいのはわかる。けどそんなの小さいうちだけじゃん。うまく育てられないと中学高校になると普通に憎たらしくふてぶてしい半グレみたいになる。親はまともでも子供はひねくれまくって不良みたいになってるところなんていくらでもあるぞ。

そして一番怖いのが離婚。女はまだいい、男が離婚されたらどんなに悲惨か。向こう都合の離婚でも養育費を払う義務が出る上に親権を取られたらさんざん労力と愛情をかけた子供とも会えない。生活費だけ取られる。刑務所のほうがましだよこれ。

まあそれでもね、自分が本当に愛した人と一緒に暮らせるというのは比べるものがない幸せなのかもしれない。そういう恋愛結婚は否定しない。ただ、周りが結婚してるからという焦りと義務感から婚活パーティとかいって結婚するためにした結婚というのはリスクが大きすぎる。そして俺の職場には女がいない。なので俺は上に述べた理由から結婚できないのである。