会社に味方なし ・・・敵もなし?

入社二年たちました。なのにね~全然成長してる気がしないですね。

あいかわらず話が伝わらないし人脈もないし。やってる業務の技術については多少詳しくなりましたがね。でもニッチすぎてよそに出たときに応用が効かないですし入社前になりたくないと思ってたゼネラリストのなりそこないみたいな存在になりつつあるのが恐ろしいです。

たぶんこんな状況になってる一番の理由が仕事に対する情熱ですね。一切ないですからね今の仕事に対する情熱が。こんな事を言うと顰蹙を買うかもしれませんが、入社前に思い描いてた自分のキャリアってスペシャリストだったんですよね。理系なのにゼネラリスト志望の人を正直見下してました。せっかく物理やら工学学んだのに金に目がくらんで管理の仕事やるのか夢のないやつめ、って本気で思ってましたからね。で入社してみるとやらされたのはゼネラリストの仕事ばかり。今の会社が自分に求めてることってチームの中で存在感を発揮して潤滑剤になることなんですが、それが面白いと思えないんですよね自分は。でも実際うちの会社の場合技術系の職場にもかかわらず、技術を極めることのメリットってそこまでないんですよね、比較的。小難しい理屈を話す人は敬遠される風潮があって、月例報告で数式なんてだそうもんなら大顰蹙を買う。小学生にもわかるように、が標語。だからみんなやりましたできましたみたいな開発しかしない。こんなんで大丈夫か日本と思う。

まあそんなこんなで落ちこぼれ社員まっしぐらなわけですが、これからどうしましょうね~。。技術を高めても評価されない会社ってことが薄々わかってきたんで、人間的スキルをいまさら伸ばしていくしかないんですかね。。同期を見てると人当たりのいい快活なやつばっかりなんで、彼らと同じレベルまで自分のコミュニケーション能力を上げるにはあと3年は見ないといけない。

こういう感じに書くと卑屈だなあと思われるでしょうが、これが実情なんですよね。大学生のみなさん仕事は実際に入ってから何をやる可能性が高いかで決めたほうがいいですよ!世の中にはメーカーでありながら開発は全部外注に投げてるところがありますから、自分の手で開発がやりたい人はこういう会社に入っちゃいけません。

またADHD発動・・・ なんとかならんかねいい加減

また仕事でADHD発動しちゃいました

会社のノートパソコンは机にワイヤーロックみたいなので固定されているんですがそのカギをなくしちゃいましたね~

先週の金曜出社後気づきましたね。カギがいつもの場所にないって。

いつも机の上か一番上の引き出しに入れてるんですがそれが打ち合わせでノートパソコン外そうとしたときにないのに気づいて本当に冷や汗かきました。

 

こういうのってすぐには大事だと気づかないんですよね~

いやまだ二段目の引き出しに入ってるだろうとか制服のポケットに入ってるかもとか、カギが探してもないって段階になってもいやスペアキーを事務が持ってるはずだとか、で、どんどん立つ瀬がなくなってきて最後はもう顔面蒼白って感じですよね

カギをなくしたら内々で処理なんてできませんからねそれにね。マネージャーに申し出て職場のみんなに形だけでも各自の机の下とか探してもらって。。とか。

で職場でこういうミスを晒すってことはこいつはそういうやつだミスするやつだっていうレッテルを暗に貼られますからね。それもきついですよね~。

結局今回はなぜか同僚のキーが同型だったみたいでそれを使って開けられたんですがほんとただでさえ地の底に落ちてる自分の評価がさらに下落するところでした。

金曜に発覚したので土日はほんと生きた心地しなかったです。

映画「ジョーカー」 感想(ネタバレ注意)

※ネタバレ注意

 

巷で話題になってるジョーカー見てきました。ナイフで目玉を突き刺すとか過激な暴力シーンが問題視されていると聞いていたのでアメコミベースの映画ということもあり単純なバイオレンス映画なのかと思ってましたが、格差社会にアンチテーゼを示す含蓄深い映画でした。

 

定職についておらず道化師派遣の仕事でほそぼそと暮らし家では老いた母の介護。それでも歯を食いしばって生きていたところに不良に襲われ仕事も失う。そんな窮状の主人公に向けられるのは同情ではなく無職で金もなくもてないおっさんという冷たい社会の目。そんな追い詰められた状況でだんだん精神的におかしくなっていく。。

 

僕はこの映画のエッセンスは主人公の「僕はただ愛情(ハグ)がほしいだけなんだ」という言葉に凝縮されていると思いますね。主人公は根はやさしい、人畜無害?な人間だった、でもジョーカーに関わる人間は彼の無職とか母親と二人暮らしとかそういったステータスしか見ない。ステータスで判断して接し方を変えてくる。こういうこと、現実世界でも往々にしてあると思います。本人の中身を見ないで肩書で判断する。無職とか中年男性とかバツ1とか。現代社会はそれらの肩書が悪い「バッドステータスな人間」に対してあまりに厳しくないですか。公園で中年男性がくつろいでただけで警察に通報されてパトカーが来た。挨拶をしただけで声掛け事案として不審者扱いされた。そんな理不尽なことが起こっても1%本当に不審者である可能性があるんだから仕方ない、とされ世間は納得してしまう。1%本当かもしれないから99%の正常な人は犠牲になれ、といってる。これって差別と同じ構造なんです。1%の悪いユダヤ人がいるから99%のユダヤ人も迫害されてもいい、という言い方と同じ。ユダヤ人差別は社会的に可視化された差別だけど、中年男性差別とか無職差別とかは差別として認知されていない。そうやって不条理に迫害されている人たちの苦しみに初めてスポットライトを当てた映画ということですごく斬新だと思いました。

日本企業(メーカー)の現状

巷で○○退職しました系のブログに書いてある事を、就職するまで一部だけの話だと思ってた。エクセル方眼紙なんて実在するわけないだろうと。でも社会人になってそれが日本企業のリアルであることを思い知ったので今日はその話をしようと思います。

 

「開発部」とは名ばかりの下請け依存

所属しているのは全社の生産技術の開発部署。海外にも広がる工場の次なる生産技術開発を担う重要な部署なはず。なのに、自分たちで開発はほぼ行っていない。じゃあ何やってるのというと下請け(装置メーカー)のカタログを見て良さげな新装置があったらそれを買ってるだけ。自分たちで装置作ったりしない。駆動系のある装置を作ることは表立っては禁止されていないが実質的にやられていない。なんでかというと「危険だから」らしい。小さな改造すらも超絶煩雑な承認フローを踏んでからでないと実施できない。一から装置買ったほうが楽なぐらい。だから誰もやってない。技術系社員のはずなのに、やってることはカタログ見たり展示会行ったりしてただ買うだけ。。買うのにもさんざん根回しした上で半年がかりの承認フローを経てかつ過剰な安全対策を行ってようやく装置が買えるので絶望的なぐらいたくさんの事務仕事が発生する。なので、うちの部署の技術系社員の業務の多くは装置購入のための事務である。

 

新しいテクノロジーを歓迎しない雰囲気

開発の進捗報告会が定期的にあり、各開発担当がプレゼンを行う。開発者の人事評価に大きな影響を与えるので気合が入ってる人なんかは丸2~3日かけてスライドを作る。でも評価されるのはプレゼンが上手く行った人なのでそういう人が部長に気に入られる傾向がある。進捗報告会ではわかりやすいことが結構重要。だから古臭いやり方でも部長達がよく慣れているアプローチでやってるほうがウケがいい。逆に「機械学習を使って条件だししました」なんて言おうものなら「信頼性の低い方法を使うな!」と怒鳴られる。これは、マジで起こった事。こんなのお前の会社だけでしょといわれるかもしれない。だけど、メカ系の学科出身者はそういう保守的な色が強いのを学生時代嫌という程感じてきた。教授ですら、というか教授だからこそ古臭いアプローチにこだわりをもっていたりする。この結果、新しいチャレンジングな開発は自然と忌避されるようになる。

 

 

 

他にも日本のメーカーこのままで大丈夫か。。?と思うことは多々あるのだけどまた今度続きを書こうと思う。

ベイズ最適化を仕事で使ってみようかなという妄想

ベイズ最適化はざっくりいうと実験でn増しを行いたい時最適な入力条件を教えてくれるツールと認識してる

 

ベイズ最適化が優れているのは普通の教師あり学習と比べて精度つきで最適解を提示できるからだ。普通の教師あり学習はデータセットから応答局面を引いたら最適解は唯一に定まる。データセット自体にはばらつきがあるし、データ数が少なければ応答局面の信頼性は下がる。実験3点しか測定していなくても応答局面は(一応)引ける。でもn増ししていったらその応答局面はどんどん更新されていってはじめとはかけ離れた形になっていくだろう。n=3で見出した最適条件は更新後の最適条件とは全く違うものになる。n=3の時点ではその最適条件をどれくらい信用して良いのか定量的に分からない。でもベイズ最適化は最適条件とその確率(信頼区間)を教えてくれる。

 

ベイズ最適化は材料開発でよく使われてる。組成の組合せだけで膨大なのでシミュレーションを繰り返してベイズ最適化で良さげなパラメータの目当てをつけて実験で確かめる。東大とかNIMSとか、今までの実験オンリーの方法だと400回必要だったのが10回程度に絞れたとかそういう報告もあって、実験数を大幅に削減できる。

 

仕事である特性値を最適化しなければならないのだけど、この方法を使って見ようと思う。実験計画法で初期条件を20程度振って、ベイズ最適化→最適条件で実験→DBに加えてベイズ最適化→最適条件で実験→以下繰り返し のようなイメージ。ただ、部署で使った例がないので理解されなさそうなのが不安。開発の部署なのに(特にIT系、統計系の)新しいテクノロジーをあまり歓迎しない雰囲気があるので。ほんとおかしな話なのだが、日本のメーカーの機械・電気系の開発部署ってこういうところがあるらしい。意外と保守的なんですよ。

残業ばかりで疲れた

 

「残業が好き」な人たち

うちの職場には奇特なことに残業を喜んでしている人たちがいる。彼らは毎日毎日残業して9時までだらだら残っている。残業は残ってる業務があるから仕方なくやるものでしょと思ってたから残業をすることがルーチンになってる人の考えは理解できない。家でやりたいこととかないの?そもそも一日中椅子に座って疲れとか感じたりしないの?

 

そんなもんだから新卒で入ったときは驚いた。7時になっても帰る気配がない。8時になっても9時になっても、、 一応世間ではホワイトと認知されてる部類の会社なのにそれでもこれが現状なんだよね 給料はいまのところ良くない。で思ったのはこれって誰がきっかけでこうなっちゃってるんだろうということ。少なくとも過半数の人は残業やだな、、早く帰りたいな、、と思いつつ仕事してるはず。

 

残業100時間以上になるとむしろ幸福度が増加するらしい。働けば働くほど楽しくなるってどういう境地だろう。そういう人が率先して残る

 

単純に残業代が貰えるからというのもあるだろうね。時給が割増になるので

 

でもそうやって残って家に帰っても、9時まで残業して1時間通勤にかかるケースだと体を休める時間が2時間しかない。うち1時間は必要最低限の家事をしたり風呂に入って消えるので、テレビを見たりネットサーフィンしたりといった本当の自分の時間は1時間しかない。日本人はそこまで深刻に捉えてないような気がする。本当はとても恐ろしいことなんじゃないか?必死に働いて、本当に自分のために使える時間が一日一時間しかない。

 

疲れたら帰ろうよとしかいいようがない。そしてそのどの時点で疲れるかというのは個人によって違うんだからそれぞれ自分のタイミングで帰ればいい。

 

でも現実的にはそのように声を上げても経営者が実際に人を増やそうと決断することは難しい。全体の仕事の量は変わらないので誰かが残らざるを得なくなる。福利厚生などの雇用にかかるコストがあるので人を増やすより一人あたりの労働時間を増やしたほうが安くすむ。それに日本企業は一度正社員になったら簡単に首にすることはできない。なので会社全体の仕事量の波を社員を増やしたり減らしたりすることじゃなくて一人あたりの負担を変えることで対応してきた。しかしこれが今は仇となって残業によって仕事の波を吸収する仕組みができあがってしまったのでないだろうか。

 

 

効率的に働こうという気がない

就職して一番衝撃的だったのがこのことだった。いまだにハンコを使うし紙信仰。電子で回ってきたチェックシートにマネージャーから承認をもらうのにわざわざ印刷して判子押してもらってPDFスキャンなんてとんでもないことが行われるのがうちの会社だ。しかも、それに異議を唱える人もいない。確かに電子の承認印がいくらでも偽造可能なものだってのは知ってるよ。でもさ、それならシステム上でその人本人のPCからしかチェックできないようにしましょうとか、いくらでも電子上で済ませる方法はあるのに紙にこだわる。現物主義の取り違えとしかいいようがない。

 

それに加えて事なかれ主義の結果なのか無意味な仕事がおおい。うちの会社では3ヶ月に一度各実験室のゴミの量を集計して「全職場」報告しないといけない。他の会社もCSRで職場の環境関連の活動ってあると思うんですよね。でも3ヶ月ごとにしかも全職場でゴミの数を事細かに報告してるところはあまりないんじゃないでしょうか。報告は各実験室ごとにエクセルで記入してそれを全部グループの責任者宛にメールで送ってもらってエクセル結合したものを安全衛生の部署に送るという形です。これもすごい話で大本の安全衛生で一つエクセルファイルを用意して各自の担当者が直接記入すればいいのにわざわざ責任者がコレクトして結合するという作業が完全に無駄。

 

こんな働き方してるの日本だけなんじゃないの?

自分の時間をゆったり持てる人生のほうが幸せなんじゃないの?

研修で新入社員がブラック発言連発のカオスだった話

今日新人社員・二年目社員の合同研修に行ってきた。「ロジカルにプレゼンをしよう!」というテーマで全部で30人ぐらいが集められ、5人の小グループに別れてそれぞれ資料を作ってプレゼンをするというものだった。

 

ある新人グループが主張のために作成した理由が危険(労働問題的に)なものだった。

 

主張はコンビニの設置を提案するというもの。

 

背景として時短勤務者の増加があり他の普通のフルタイム勤務者を圧迫している状況があるという。要するに時短勤務者が早く帰った分の仕事はフルタイムが残業してやってるのだと。スライドはあからさまに時短勤務者を厄介者扱い。「正規労働時間のうち時短は平均30時間/月。うちのフルタイム勤務者の平均残業時間も30時間/月」「時短勤務者Aは最近リラックスチェアを自宅に購入」などと茶化すような文言まで。。

こういう表現が出てしまうのは普段から時短勤務者に対して「あいつ早く帰りやがって。卑怯だ」という妬みを彼らが感じているからではないだろうか。

時短勤務者は子供の送迎など都合があって時短勤務とする場合がほとんどである。そもそも出社していない時間分は給料が出ていない。またフルタイム側には時短勤務を選ぶ自由はいつでも残されているが、それでもフルタイムを選択するのは合理的判断によるものである。

要するに時短勤務が羨ましいんだろう。その分お金はもらってるはずなんだからこれはもう感情の問題でしかない。

 

実は、これ以外のグループでも「労働時間を○○時間増やして効率化!」(時間当たりのアウトプットが増えるのが効率化であって労働時間を単純に増やすのはただ負荷が増えただけじゃないのか?)とか、「通勤時間を減らすべきだ!なぜなら労働時間を増やすことができるから!」といったブラックな文言があちこちで飛び出してて正直吐きそうだった。

 

20代前半って長時間労働に疑問を持ってる人が多いイメージだったけど、それが覆った体験でした。